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1921 年( 大正10年)
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橋本敬三・新潟医専卒、東北帝大(藤田教室)。
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1926年(大正15年)
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函館民間病院勤務(四ヶ月勤務.年末に病院倒産)。
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1927年(昭和2年)
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橋本敬三・初代学校衛生技官となる。
ゴニオメーターGoniometerに子供を立たせて傾倒角度を、カーボン紙で足圧測定した。
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1929年(昭和4年)
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技官を辞め、友人が院長を勤める社団法人、慈恵院{現函館中央病院)を手伝う。
この頃から、民間療法をあさりだし、正體術に出会う。
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1933年(昭和8年)
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薬局が開設してやめていた診療所をかりて橋本敬三診療所を開業。
投薬は主に漢方を用いた。毛鍼の名人から鍼を習い、後日習得する。
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1937年(昭和12年)
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健康と疾病の可逆性などの概要がわかったので、春終わる頃から、早朝に書きして、
7月に書き終わる。8月赤紙。それまで書きためたものを友人の医院長に預けて、
「漢方と漢薬」に投稿を依頼し応召。その原稿にバランス測定の記録がある。
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1938年(昭和13年)
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バランス測定、「漢方と漢」に掲載。
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1940年(昭和15年)
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帰還。函館で再開業。
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1941年(昭和16年)
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仙台、温古堂診療所開業。
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1944年(昭和19年)
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再応召。
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1948年(昭和23年)
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ソ連抑留から引き揚げる。
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1967年(昭和42年)
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橋本敬三・亀井進と均整法に出会う。
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1972年(昭和47年)
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当時、操体法はカックン療法、逆モーション脱力法、ボデーパイロット、急速瞬間
脱力法などと呼ばれていた。
同年12月 間中善夫(故人、北里大)から実技の写真依頼があり、正月3日に撮影。
その一部を「万病を治せる妙療法」に掲載した。
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1974年(昭和48年)
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5月、小石川医師会館にて講演。農文協の月刊誌原稿依頼。
仙台、太極拳ブーム。
操体療法と名がついた。ところがそう言うと、操体?、体操の印刷間違いではない
か、という声が出た。
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1975年(昭和50年)
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操体療法の勉強会始まる。
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1976年(昭和51年)
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1月、仙台医師会、橋本先生を囲む会(勉強会)始まる。
3月、仙台医師会、橋本先生を囲む会。NHK千代木、温古堂へ。
5月、農文協に写真を見せる。
6月、NHK,東北地区「今朝の話題」を放映。
9月、NHK、ドキュメンタリーNo224、「温古堂診療室」放映。
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1977年(昭和52年)
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「万病を治せる妙療法」出版。
10月、 新潟医大講演。柏樹社が同行し録音(「体の設計にミスはない」に成る)。
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1978年(昭和53年)
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川上研究室研究生、温古堂診療室の 約15,000枚のカルテから、分類可能な
5,000枚ををまとめて卒論にした。
「体の設計にミスはない」出版。
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1980年(昭和54年)
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3月、 宮教大分析センター、勉強会始まる。
「操体法写真解説集」出版。
「操体法の実際」出版。
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1986年(昭和61年)
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「誰にもわかる操体法の医学」出版。
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1987年(昭和62年)
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「生体の歪みを正す」出版。
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1993年(平成5年)
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1月、橋本敬三逝去。享年96歳
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